安全感覚とともに
大いなるものに委ねるという安全感覚を
私たちはいつの間にか忘れてしまった
逆に身を固めることで
安全を得ようとしてる
すると
そっちの経験の方が長くなってきて
いつのまにか
大いなるものに委ねることを不安と感じるようになってくる
芸術表現はこの安全感覚を取り戻す道程
だから真の安全のなかで表現しようとした時も
(初めは)不安を感じるのかもしれない
*
演技表現って
自分でコントロールできることもあるけど
実は
自分ではコントロールできない要素が
かなり多くを占めている
そもそも共演者やスタッフは
コントロールできないし
観客ももちろん
コントロールできない
劇場の外のお天気も
劇場の中のお天気もコントロールできない
そして実は
自分の楽器(心身)さえ
筋肉、神経…細胞の一つ一つ
そしてそれらのかけ合いも
そのほとんどを
自分の意思で思い通りにすることはできない
*
もちろん
出来ることも少なくない
練習すればスキルは高まるし
お誘いすれば他者は何かしら反応してくれる
アレクサンダーのレッスン受ければ
着実に楽器の動きと流れは良くなってくる(宣伝w)
ただ
それで全部が
演技の何もかもが
自分の思い通りになるわけじゃない
*
自分も
他者も
環境(お天気含む)も
自分のコントロール外のものを
大自然とか
大宇宙とか
大いなるものとか
人によっては神とか
(私は<演劇の女神>と呼んでる)
名前をつけて
認識しよう
「私にはどうしようもないものがある」
「そのどうしようもないものが私の表現の多くを占める」
…って
*
自分のコントロールできない
大いなるものを信頼して
それに委ねるという感覚を
私たちはいつの間にか忘れてしまった
自分にできることを努力するのはいいけれど
それだけしか認識してなかったら
その表現は部分的なものでしかない
真理…ではない
*
大いなるものを信頼して
自分の表現に含めるっていう
安全感覚、、、を
思い出そう
今の私にとって芸術表現は
この安全感覚を取り戻す道程
不安を感じるのは仕方ない
でも
自分の本当の<丸ごと>で演じられた時の喜びに
少しずつ着実に近づいている感じがする
そういう時って
きっととっても静かで
平らかなんだと思う