パパ_alexander

アレクサンダーテクニーク教師、俳優、主夫、パパ…

安全感覚とともに

 
大いなるものに委ねるという安全感覚を
私たちはいつの間にか忘れてしまった
 
逆に身を固めることで
安全を得ようとしてる
 
すると
そっちの経験の方が長くなってきて
いつのまにか
大いなるものに委ねることを不安と感じるようになってくる
 
芸術表現はこの安全感覚を取り戻す道程
だから真の安全のなかで表現しようとした時も
(初めは)不安を感じるのかもしれない
 

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演技表現って
自分でコントロールできることもあるけど
 
実は
自分ではコントロールできない要素が
かなり多くを占めている
 
そもそも共演者やスタッフは
コントロールできないし
 
観客ももちろん
コントロールできない
 
劇場の外のお天気も
劇場の中のお天気もコントロールできない
 
そして実は
自分の楽器(心身)さえ
 
筋肉、神経…細胞の一つ一つ
そしてそれらのかけ合いも
 
そのほとんどを
自分の意思で思い通りにすることはできない
 
 
もちろん
出来ることも少なくない
 
練習すればスキルは高まるし
お誘いすれば他者は何かしら反応してくれる
 
アレクサンダーのレッスン受ければ
着実に楽器の動きと流れは良くなってくる(宣伝w)
 
ただ
 
それで全部が
演技の何もかもが
自分の思い通りになるわけじゃない
 
 
自分も
他者も
環境(お天気含む)も
 
自分のコントロール外のものを
 
大自然とか
大宇宙とか
 
大いなるものとか
人によっては神とか
(私は<演劇の女神>と呼んでる)
 
名前をつけて
認識しよう
 
「私にはどうしようもないものがある」
 
「そのどうしようもないものが私の表現の多くを占める」
 
…って
 
 
自分のコントロールできない
大いなるものを信頼して
 
それに委ねるという感覚を
私たちはいつの間にか忘れてしまった
 
自分にできることを努力するのはいいけれど
それだけしか認識してなかったら
 
その表現は部分的なものでしかない
真理…ではない
 
 
大いなるものを信頼して
自分の表現に含めるっていう
安全感覚、、、を
 
思い出そう
 
今の私にとって芸術表現は
この安全感覚を取り戻す道程
 
不安を感じるのは仕方ない
 
でも
自分の本当の<丸ごと>で演じられた時の喜びに
少しずつ着実に近づいている感じがする
 
そういう時って
きっととっても静かで
平らかなんだと思う